そちらの生活はいかがですか?僕は元気にやっています

 私は日本国憲法の認めるところの生存権に基づき、医療福祉を受けているのであるが、個人情報の保護が叫ばれる中、未だに個人情報とは何ぞや?という、おとぼけさんが少なからずおり、おとぼけさんには、役所、役人、医療機関、医者、ケースワーカーもその範疇に入るようである。私は、この2,3ヶ月において、役人、医療機関とその事務員、ケースワーカー達のせん妄的個人情報への意識薄弱に激怒し、(実は怒っていないのだが)、終いには役所、病院で「個人情報って何?」と題した講義をする始末。さらに、お偉いさん登場で、すみません、申し訳ありませんと平身低頭の態度。で、やっぱり最後にげんこつ喰らわせた役人に「個人情報保護法」って何?と聞いてみた。長い長い沈黙がとてつもなく儚いのであった。

 けれども当の本人はブログで自身の個人情報をめちゃめちゃに暴露しまくっている。はい、昨年は気がフレテ、二度程、脳病院へ入院と相なりました。ネットワークにおける検索で容易に私の住まいまでもブログにおける情報から探せることでしょう。私の書くものは、器の小さい者は激怒するような、尖ったテクストが多いのであるが、それでも「こき下ろし」と「論理」は必ず同一セットという作法には細心の注意を払っている。読者が激怒して、私の元に訪れ、刺されてもよいという気持ちはいつも抱いている。刺されようが、自己のテキストを修正する気持ちは毛頭ない。狂わんばかりに考え抜き、そして論理でもって罵倒する。書き直すべきところはありません、という気持ちなのである。もちろん、刺し返して、返り討ちにする意気込みも忘れていないが。

 脱線。ではないんです。つまり、個人情報云々と役人、医療機関にげんこつ喰らわした私は実は個人情報なんてどうでもよいことなのですね。ニートでも引きこもりでも、狂人でも精神薄弱者でも白痴でも何と云われ、それがネットで曝されようが、その言説が例えば排除の思考だとか、差別だとコミュニケーションシステムが創発されようが、要は心的システムが社会システムをいかに、観察するかの問題であって、マジョリティがスティグマを付与して逸脱者の烙印を押して、自己修正を意図しようとも、心的システムにとって、スティグマスティグマでないならば、ニートも引きこもりも狂人も精神薄弱者も白痴も存在すらしていない。ニートを自認する若者が多いとある識者が悲憤していたが、端的に、社会システムにおけるニートの言説の横行、レッテルなんて自己の自尊心に何の影響もないから、「オイラ、ニートだ」と戯れることができるわけです。

 皆さん、内藤がニートなんて顔色変えて叫喚するのって、阿呆だとお判りですよね。フーコーの云ってることをへんてこに理解して用いて、ニートの教育が権力に利用されるだなんて、この人、ほんと無害だから一人で云わせておきましょう。敷衍しておきますが、フーコーは無意識のうちに罪、或いは修正されるべきという意識を逸脱者に植え付けることで、自らが自動的に社会に適応しようとする点に力点を置いており、「プチ徴兵制」ですか?例えば選挙権がないニートと云われるような方々がプチ徴兵制を受けても、2,3年後には選挙にいって、恨みを晴らし、与党は惨敗するだろうよ。本田も内藤も、ニートという言説がない遠い昔に遡って、ニートがなんちゃらとのたまっているのって、何度も云うがほんと終わってるよね。例えば、基礎教養ですが、幕藩体制時に日本人なんていませんからね。今でも「おくにへ帰る」といいますが、当時の日本というアイランドに住んでいた者にとっての国とは、藩、もっといってしまえば村落共同体であり、日本人という言説がないし、意識もないのだから日本人もいるわけがない。ニートの歴史を構築する本田なんて、E.Hカーの『歴史とは何か』の亜種かなと思ったけど、亜流さえ値しない。この書は今はやりの構築主義の萌芽が観られるのですが、、本田のは修正主義だね。寂寞とした徒労ご苦労様。これからも、誰も顧みることもない歴史の修正ご勝手にどうぞ。
 
 脱線した。わけではありません。あのね、「オイラ、ニートだから」という言説を云える人は相対的に問題はないから、物申せるということは、いくらでも新たな区別を投入することで、他者の印象操作、印象変換可能だから。それよりも、他者から区別された自己に対して、新たに区別し直すことのスキルを持ち合わせていない方々を問題にしなければでしょ。或いは、ニートを画一的に定義づけするのではなくて、ニートという他者からの観察を自己が更なる観察によって、システムを創発することに困難を感じる方々について論じるべきではありませんか。その意味で、のっぺら画一的にニートを定義づけることで、新たな区別を投入することが困難な方々が不可視化されたことに加担したバカ本の御三方はやはりバカ本の著書ということになる。

 私がなぜ、先の投稿において気にもとめない個人情報の漏洩という違法行為に屈することをしないと宣言したのか。それは、個人情報が何か判らない一般の方々、そして個人情報が漏洩することで大いに傷つくであろうが、新たに区別を投入してシステムを創発することに困難を感じる方々の存在を、これまで脳病院を入退院する中で知っているからなんですね。私には、馬鹿やろう共に抗する言葉とメディアがある。おまけに、このろくでなし何と云われようが傷つくおセンチな「自分」くんは遥か昔に死滅したと申す。

 2002年、どん底の気持ちで私は板橋のMに半ば強制的に入院ということになった。自分はこれからどうなるのか、どうすればよいのか不安でたまらなかった。一人でしくしく泣いていると、同じ入院患者であろうか、何も申さず、けれども微笑と共にハンカチーフを取り出すと、涙をそっと拭ってくれた。後に懇意になるが、お互い打ち解けても、彼女は自分から話をすることはほとんどなかった。

 彼女はもうこの世にはいない。私があのハンカチーフへの感謝として、できることは不可視化された沈黙者の言葉を、余計なお世話と揶揄されるやも知れぬが恥を忍んで、阿呆共に論理のげんこつでもって喰らわせるくらいなのである。


参照テクスト:http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/ 
       この人の云ってることのギャグと本気の差異が私には判らない。
       http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/ あああ
       
参考テクスト:http://jibun.seesaa.net/article/14481545.html 個人情報関連
       http://jibun.seesaa.net/article/13286182.html
       http://jibun.seesaa.net/article/13289232.html
       http://jibun.seesaa.net/article/13318948.html
 ニート擁護も排除も同じ区別の反対項を指し示しているだけで、機能的に等価であるということを見よ。新たな視点でニートを議論するならば、典型的な区別のアンチという形を取るのではなくて、新たに違う区別をしなければならない。区別に基づく観察の形式はカテゴリーの「てーげー革命」を参照せよ。

       http://jibun.seesaa.net/article/11077047.html
       ニートを語る阿呆さを見よ

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