知的生活ってほんとに楽しいのかよ?

 皆さん、よく知的生活を称賛するものを読んだりしません?でもおいら想うのだが、いやおいらの場合は、知的生活って99パーセントは苦しみであり、残りの1パーセントだけ読むことにより何かつかんだ時の喜び、感動がある。おいらの場合は、ほんと、そうなんです。今まで社会学や哲学、思想を読んできました。でも、もうそれは苦しいことばかり。おいらは何か「表」では研究や勉強が好きなように思われている傾向があるのだけれど、そんなの大っきらいだい。例えばルーマンを読むとする。もう判らない、判らないの連続で自分の馬鹿さを思い知らされ落ち込む。それはほんとにひどいうつに入っていく。
 それでは読むのなんか止めちまえと想われる方もおいでかもね、でもね、でもね、自分でもよく判らないけど、また読んでしまう。そして再び己の阿呆さに気がつき、どうしようもなく沈んでしまう。下の投稿で書籍とか紹介しているけれど、もしかしたら、おいら、誰かに新たな苦しみを与えてしまうかも知れない。ほんと軽い気持ちで読むなら読んでね。

 こんなに知的生活が苦しいのは、おいらだけなのか、おいらが阿呆だから仕様がないのかと考えていたのだけれど、ハマトンの『知的生活』というものがある。この書は知的生活に伴う苦しみに触れている数少ないものの一つだから、もし、おいらと同じように勉強が大っきらいだけど、読んでしまうという変な性癖がある方がいれば読んでみてね。名著だから。おいら、ハマトンに出会わなかったら読むことなんて止めていたと想うよ。それくらい大きな影響を与えてくれたもの。

 それから昭和の社会学者、思想家で清水幾太郎という人がいる。この人は多作で、ほんとにすごい人なのだけれど、やはり社会学をやることに挫折した経験がある。『社会学入門』ってのがあるのだけれど、これはおいらが社会学を始めるきっかけとなった本。まだ研究のけの字もしらない時代に、それでも何かの学問に身を投じたいと考えてた。いろんな学問の中から何を選択すればいいのか悩んでいたのね。そんな時、神田の古書店の百均の箱の中に棄てられるようにあったのを何げなく買い、読んでみた。そうすると清水の挫折した実体験など交えて社会学と関連するように書いている。普通の社会学入門書のように学問、学問してないけど、学を語っている。それはめちゃめちゃ面白く読めて、そこで清水幾太郎みたくなりたいと何か勘違いしちゃったのだね。それが社会学を始めるきっかけ。でも、清水はいいものたくさん書いているのだけれど、絶版が多くてね。あれほど昭和の日本に思想的影響を与えたのに、今、読まれなくなっちゃった人はいないのではないかな。岩波から全集がでてるから、そこから学問することに挫折感を覚えてる人は読んでみたら?清水が書いたもので文庫になっているものもいくつかあるからね。自分で、さ・が・せ。 

 もうアマゾンとかとにリンクするのどうせ、もうけないだろうし、親切にやってあげない。それに本当に自分が影響を受ける書って、何か偶然的か運命的かしんないけど、そんな出会いみたく感じるし。何か、なんかに、もやもやしてて、その憂悶のやり場をどうすればいいのか判んない奴はとりあえず、いろいろ読んでみろ!って、えばって、ごめんよ。

 ああ知的生活に苦しみが伴う話ね。だから、おいらは10冊ぐらい並行して読んでる。半分はほとんど苦しみしかもたらさない、思想や理論の類と半分は本当に自分が好きな文学や映画や音楽や他の趣味の書とかね。そんなに読めるのかって?あんた書は全て読むものではないから。読んでもいいのだけれど、やはり複雑性という形式からいうと、知とは選択的な関係づけでしか成立し得ないから。だから、ほら、君、君、その本、難解で全部読めなかったって、落ち込まなくていいんだよ。おわり。

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