琉球にはびこる、「とほほ族」の生態

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はテレビというものは、全くといっていいほど見ないのですが、先日、友人宅で、あるテレビ番組を拝見する機会があり、そこで「とほほ族」という言葉が使われていました。わたくし的には、「とほほ族」とは、この自分様が「鬱系」、「てーげー」同様、独自の意味あいに変換して、広めた元祖と任じておるわけで、パロールでは、かなり以前から使用していたのですが、それでも「とほほ族」が使用されていたのには、驚きましたね。広辞苑大辞林現代用語の基礎知識も91年まで遡って調べてみましたが、記載されておりません。とすると、やはり私がオリジナルであると、決め付けることにします。わたくし、こういったアフォリズムを創るのに才あるのではないかと・・・。そこの新進気鋭のIT関連の社長さん、キャッチコピーの仕事、請け負います。いえ、仕事ください。ナニデモヤリマスカネノタメナラ。
 

っ、私、こんなことを書くつもりではなかったのでした。以前から、ぶちまけたいと、いえ、ぶちまけるべきであるという信念、怒りに少々、時間を頂きたい。それは琉球の左翼のとほほ性に関してなのです。ヒッチで方々旅をしていると、県によってノータリン度合いを比較でき、これは非常に興味深いというか、腹が立つと申しましょうか。その中でも断然、とほほ族が多いのは、琉球でありまして、それもちょっとインテリぶった左翼どもが、どうしようもなくとほほ的なのですあります。
 
ほほ族の定義を掘り下げるのは、別の機会に譲ると致しまして、まあ簡潔に答えるならば、「勘違い野郎」ということでしょうか。己のとほほさに全くお気づきにならず、大恥さらして、わたくし学問を修めておりますと、斜に構える。これが皆、左翼どもなのでありまして。
 
れども、その、とほほ族も考えようによっては、不憫であり、旅を重ねて気がついたのですが、とほほ族が多い県や市といった所は、質の高い書店が極めて少ないのです。昨今では、ネットを介して全国どこでも読みたい書を手に入れることができますが、それでも直接、書店に赴き、書を手に取り眺め、内容を吟味し購入するか否かの作業ができることは、とほほ族の発症を大きく左右するのですね。

憫と申しましたのは、琉球の書店事情は最悪な点なのでございまして、以前には、那覇国際通りと呼ばれる、繁華街に一軒、規模は小さいけれども、専門書を取り扱う、琉球の知性の希望の灯火と呼べる書店がございましたのですが、昨年、再訪してみると見事につぶれていました。あとの書店は思想的に過度の偏りがあったり、大衆迎合のものばかり揃えていたりと、どうしようもない。さらに琉球の方々は新聞をお読みになっているかも不確かですが、百歩譲って読んでいたとしても、「沖縄タイムス」か「琉球新報しか読まない。中には、「私は赤旗も読んでいるのです」なんて自慢げに話す、とほほ族もいまして、この自動左翼製造装置の中で育った、琉球の方々はある意味、完全に洗脳されているのでございました。
 
球を旅して、ステレオタイプのとほほ族は、日本政府に反感を抱いていて、「琉球はもともとは、独立国家なんだ」と、えばりちらす。国家なんて、あなた形は違えど、古代ギリシアより、見出すことができ、「国家!国家!独立!」なんて云いだすと、そりゃ、あんた世界地図の境界線を木っ端微塵にしなければならず、もともと政治学が国家をキチンと考えてこなかったことにも問題があるわけですが、ですから国家なんていいだすと、そんなものアンダーソンの云うように創造の産物であり、記述不可能に近いのでございます。そのため政治学でも国家を定義することを諦めてしまい、「政府」という概念を使用しているのが一般となっている事情を述べておきましょう。

、こんなに琉球を、こき下ろすのは、琉球を愛すがためなのであり、琉球民度を高めるには、琉球に在野する、とほほ族を根絶し紀伊国屋書店あたりを、おしゃれな北谷町に誘致することを、涙流し夢見ているからなのでありました。
 琉球には王朝があり、独立国家だったのよ。国家だったのだから」、眼を閉じると琉球で出逢った、ある、とほほ族のメスが想起される。あーー、アン・ポン・タン!

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