終わっている人たち −外部根拠とスピリッチュアリズム篇−

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 はい、こんにちわ。 下記において、先に投稿した「外部根拠というアポリア」について触れられています。
 
 http://d.hatena.ne.jp/eculus/20060209

 あれは、無策氏とeculus氏の対話を読まなければ書かれることはなかったもので、お二人の対話を読み、アドレナリンが分泌され、考えを煮詰める作業せずに、サクっと書いてしまったものなので、かなりのご批判があるだろうなと予想していたのです。

 

 批判を端緒に理論的に発展させればよいと軽く考えていたのですが、どなたからの批判もないのには少し驚いています。

 さて、これに関連して先の投稿で少し触れた、後藤氏の批判は批判ではなく、もう、どうしようもなく破綻している点について少し触れようと思うのですが、彼は僕よりも年下らしく、安易に答えは与えないことにします。

 後藤氏は江原氏の歴史を知らない点を批判していますが、端的におまえが歴史を知らないんだと云いかえすことができます。江原氏のような信仰は昔からあるというような発言も歴史をしらないことに由来しているのですね。

 彼の思考メカニズムの由来はスピリチュアリズムであり、スピリッチュアリズムは。19cに大流行し、今日まで脈々と受け継がれているわけですが、その出所を明確に答えることもできます。

 スピリッチュアリズムは1848年、ニューヨークのハイズビルにおいてフォックス家、特に、フォックス家の二人の姉妹の周辺で起きる、物理的な不可解な出来事から始まる霊性主義運動で、その現象を学術的に研究したのが現代の超心理学になります。江原氏の思考の源流はここにあり、その思想は至って近代的な産物であり、死や霊性をタブー視する近代だからこそ、死後のことを教えてくれるスピリチュアリズムは、消えることがないのです。

 後藤氏、まあ、いろいろ参考文献を挙げていますが、ホワイトブラザフッドを批判するのに、スピリッチュアリズムを全く勉強していないのが、大ばかたれ、であり、この人も終わってる人の一人ということになる。

 スピリッチュアリズムには、ニューエイジ系と王道系の二つがありますが、以前「ホワイトブラザフッドへのレクイエム 〓」で説明したのは、ニュウーエイジ系となります。江原氏は王道系なので、その思想はスピリッチュアリズムのステレオタイプなのだから、容易に批判できる。「物質主義」というタームは、ホワイトブラザフッドか否かを判断する「鍵」であり、彼らは、現代を「物質主義」と捉え文句ばっか云うのですが、そういうことも、後藤氏は全く知らない。

 江原ごときなんか、こてんぱに、こき下ろすことは容易なのですが、後藤氏の批判になってない批判は、江原氏にとっては、単にこういう感じでしょうね。こいつも真実を見ない者。それだけで終わってしまい、ほんと後藤氏の作業は徒労であり、無駄なのでありました。ホワイトブラザフッドは一般の方々の見えないものを受け取り、それは神や高級霊からのメッセージであり、即ち真実ということになる。自分は他人が気がつかない真実を知っているという信念はホワイトブラザフッドにとって全く揺らぐことがないわけ。

 あまり云うと答えを与えてしまうことになるから、自重しておきます。けれど、少なくとも批判する同じ土俵に上がるには、江原氏の観察に対して、自分の観察を云うのって、どうしようもなく阿呆であり、なぜなら、あらゆる観察が偶発的であるということは、批判する後藤氏の観察も偶発的ということなのであるから。

 江原氏を途方もなく打撃を食らわせる方法は二つあります。教えません。ヒントはこのブログで散々書いてきているし。でもその内の一つはこのテクストの冒頭の「外部根拠」と「メタ」ということがキーワードになるでしょうか。


参照テクスト:http://kgotoworks.cocolog-nifty.com/youthjournalism/2005/05/post_7d5e.html 後藤氏の江原批判

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