永井均について書いたから次はだれにしよと思って宮台真司さんの文章論の話って話し。

 やい、このやろう!やんのか!馬鹿やろう!あっ悪い、さっき病院、行ってきてさ、ほんと医者のあの態度に、もう少しでふるぼっこでした。

■宮台さんのお話しをしようと思うのだが、おめえら、まず自分がネットでの議論空間への参入するまえに、自分の馬鹿さ加減を認識しろって、それは俺の話ってー、あたってますからー!
■ということが、いいていのではなくて、宮台さんはブログで書いてるけど、仕事での文章をアップしたりしているのかな?俺、一応、アンテナに入れてるけど、サイファ以降、もう読まなくなってね。
■でも、あの人が優秀なのは認めなくてはならない。めちゃめちゃというか、何か鼻につくものがあり、ふるぼっこしたくなりたくなるのだが、空手で悪人やっつけてきたそうだから、逆ふるぼっこかも。
■って俺、何がいいたのって、宮台ブログ見てる人は判るよねー、このスタイル。これは文芸なんか、かじってしまった者には、宮台さんの気持ちが痛いほど、判るわけよ。しかも実践してるとこがすげー。

 あっー疲れた、おめえら、あの■の意味、判る?文章論をかじった奴には判ると思うよ。まずね、ネットで発言するのは、横文字になるわなー。これからして文芸的なものを書く人には、いやというか、受け入れがたいわけ。

 それで段落を変えるのに、一文字あけるってのは、小学校の作文の時間にならったけど、大学生で論文書いてる奴も、どこで段落を変えるのかってのは、判ってないと思うぜ。作文は、ならってきたけど、説得する文章の書き方、フォーマットを習っていないから、識者までもが、ネットで作文曝すことになってるわけ。

 それで、ここでまた段落を変えたわなー。ネットで文字は小さいから、段落を変えるのに、一行あける人がほとんどで、それで一文字空ける人と空けない人に別れてるのだが、俺もすげーいやで以前に一行空けることしないで書いていたのだが読みにくって、うぜーメールがたまにあるわけね。それで今は空けて書いてるのだが、でも論理というものを考えて書いている者にとってはここで一行空けるということも耐えられないわけ。

 それはな、パラグラフというのは、それだけで、独立して読んでも文章として成立している構造になっているわけだが、しかし、パラグラフの役割というのは、文章の主題、テーマ、おめえが訴えたいことを「サポート」するためだけに存在しているわけ。だから、一行あけることで、思想の流れみたいなものが、途切れてしまうような気持ち、得に書き手は読者に自分の主張を伝えるために、段落にわけて、自己の主張を担保するパラグラフを書く。その主張が一行空けることで、パラグラフのみ独立して読まれて、実はそれは主題をサポートするものにすぎなく、本当に言いたいことは、大抵は最初と最後に書かれているのだが、それが伝わらないのではないかと危惧するわけね。

 そんなこんなで、宮台さん、いろいろ考えたんだろうよ。まず、一行空けるのは、絶対にいやだったんだな。けれど、段落を一文字空けてみても、PCのモニターでは、段落が変わったことにも気がつかない人がいるわけな。いろいろ、悩み苦しみ、あんな、なんか箇条書きみたく、それこそ、段落が独立しているように見えなくもないけど、四角だから、■だから、これで箇条書きとは差異化を図ったのね。

 さらに、上記で俺もまねしてみたけど、すごいのは、これって宮台さん公言してるのかな?していて、えばって書いている俺はふるぼっこだなー。まっいいや、宮台さんの著書もそうなんだけど、ある時期から全てのパラグラフの文字数をそろえて書くようになるわけ。俺が上記でやったみたいにな。そりゃ、ぴったり同じにはならねーよ。けれど、ほとんど同じにそろえて書いてるから、ブログも著書も確認してごらん。

 やっぱ宮台さんは理論家だし、論理というものを非常にそりゃ、狂うぐらいに気をつかって書いているわけね。それがあの各パラグラフの文字数を合わせるとうことで、読者は気がつかないのだけど、パラグラフの論理の流れが同じテンポで読まされていくことで、その文章に説得力だけではないのだが、さまざまな影響を与えているわけ。この文字数合わせて、書くってのは、ほんと書き手は影で血のにじむような努力しているはずだぜ。おめえ、いっぺん、真似して論文でも書いてみろよ。狂うから。

 例えば、ダンスのステップを習うとするわなー。先生が「いち、にい、さん、いち、にい、さん」というふうに手を称えてリズムをつくってくれるのと、「いち、にい、さん、しい、いち、にい、いち、にい、さん、しい、ごう」という不規則なリズムで教わるのでは、ダンスの上達、理解も全く違ってくるよな。

 そういうことまで、考えて宮台さんは段落変え場合に■を用いて、段落の文字数をそろえて、しかも内容も深いものを書いている。そんなの判るから、ベムの宮台批判の文章はおこちゃまの作文で話しにならんっていっとるわけよ。

 おまえは、思いつくままの何の根拠も示さない突っ込み文句を宮台さんに入れているけど、その文章って、宮台さんが血反吐く思いで書いたものとは、もう次元が違っており、思想内容を云々する以前に、思想を現前させるための「書くという作法」からして、もう遥か雲の上の方であり、突っ込みいれて、揚げ足とっているくらいなら、その時間を文章作法のお勉強に当てろ!ってことになるわけ。

 おめーらは、文章って普通に目で追っていって、文章の構造がどういうものになっており、論理の展開はどういう作法でなされているかとか考えないだろ。だって、識者じゃないけど、識者気取りの奴らも、自分の頭に浮かんだ感想をそのまま書いてる、感想文なんだもん。

 これは専門に文章作法を勉強をしないとなかなか気がつかない。何か道徳的に、或いは自分の考えと似通っているものが書かれていたら、その文章はいいと思ってしまう。だがそんなもんじゃねーから、作文しか書けない日本の知識人のみなさーん!

 判る?宮台ってムカつくよなー、自慢話するしよー。けど影ではものすごく勉強しているの。それはもう文章を見れば判るから。だれも宮台さんをふるぼっこできないのは、宮台さんの無頼に由来するのではなく、ふるぼっこ返しをいつでもできる鍛錬を第一線でやっている、俺達には眼の触れないとこでってこと。おわり、ばいばい。

追記、最近、宮台さんの真似て文中で■こんな感じで、四角いれている奴いるのは、自分が文章作法を知らないということを公言していることと同じだからやめろ。

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