学力低下なんて全く問題なし!

りにあなたの側に学力低下の問題を強迫観念的に悩みわずらう者がいたとしたら、軽蔑の眼をして一笑に付してよし!何の問題もありません。情報化社会は知のありように一層、複雑性を付加していく過程です。例えば年代という条件で学力を観察するならば、10年前と現在では言及するまでもなく知というシステムは複雑に分化しているわけで、複雑性に富んでいるシステムは可能性として多様なオペレーションをし得るということになり、ですが一方で多様な知をシステムのオペレーション過程において完全に関係づけることは不可能であり、環境との差異において高度な複雑性を取り扱うことができないシステムは、知を「選択的においてのみ」関係づけることが強いられるわけです。このパースペクティブは何も年代という条件においてのみ見られることではなく、文化の浸透度合いに当然格差がある地域という条件を提示しても同様のことである。であるから国際的に学力を比較して云々するのは限りなく意味がないということになる。システムの複雑性に対応するために、近代社会機能分化という形態を選択して、システムは一つの機能のみをただ寡黙に取り扱うことで、その総体としてのメタなシステムはオペレーションが可能となるわけで、例えば理数系の学力低下が世間では血相を変えて語られているようであるが、先にも言及したようにシステムは全ての知(情報)を取り扱うことができないのだから、選択的な知の関係づけでその分野に秀でているパーソンや組織、集団がその分野のみの機能を司り、結果、システム全体がうまく回っていけばO.Kなわけです。てーげー理論ではシステムの内容を全く問うことはしません。内容、構造がどんなものであれシステムが円滑にオペレーションされていれば、それでよし。はい、それでいいんです。また何度も云いませんがシステムの複雑性が高度なものになればなる程、このパースペクティブへの移行を避けることはできないのです。

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