花明かり

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 一年、なんとか生き抜いた。昨年のこの時期も同じようなことを云っていたような気がする。
 
 

 新年を向かえ、生活に関して変化したことが一つある。私はあの不穏な薬を止めた。止めたと云っては嘘になろうか。止めようとしている。昨年、私は何か自分が納得のいく仕事をするために、薬を使い始めたのである。当初は、すこぶる能率よく、仕事が進んだのであるが、気がついてみると薬物依存になっており、師走を迎える頃には、廃人同然になっていた。
 
 知人達は、私が死んでいるのではないかと心配してか、しばしば下宿部屋を訪れては、薬を止めるようにと説得しようとするが、狂人の眼をした私は書くまでは、という想いで拒否しつづけた。その内、恩師や先輩方が話合い、卜部は脳病院に入れよう、という段取りまでできあがっていたようである。
 
「年が明けようとしています。阿波の冬は暖かいのでしょうね。喘息の具合は、いかがですか。どうぞ、自愛してください。僕は元気でやっています」

 私は葉書に、こうしたためると外套をはおり鐘の音を聴きに行くがてら葉書を投函しに外出した。郵便ポストは梨園を抜けて、緩やかにカーブした坂を上って染井吉野の巨木が威厳のある風袋で立ち並ぶ通りにある。体力の衰えた体で、一歩、一歩、踏みしめ坂を上る。吐く息は凍てつくようである。
 
 ようやく頂上へ到着すると、桜は満開であった。嘘ではない。たわわとなった枝から舞う桜吹雪が除夜の鐘の音と共に私を霧消させ、そこにあるはずの郵便ポストはなかった。極寒の闇に花弁が乱舞する景色は妖艶で神々しいものであった。私は狂乱の花吹雪に自分が発狂してしまうような恐怖を感じた。幾度も往来したはずのポストは依然として見当たらない。
 
 葉書には宛先が書かれていない。不意に判然とし、私は日常から乖離した空間に迷い込んでしまった子供のように不安で一杯になった。私には阿波に喘息もちの知人など一人もいないのである。
 
 翌朝、下宿部屋の窓を開けてみると、近隣の家屋の屋根や地べたが薄っすらと白く染まっていた。

「ああ、桜が、桜が散ったはずでは」

 机上には、投函されることのない葉書が見受けられた。皺くちゃなその様は、私自身の落ちぶれた貧相な姿を投影しているようであった。それは行くあてもなければ、受け取ってもらえる者もいないのだ。

関連テクスト:「出逢いの風景」

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