区別は差別ではない

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 ステム理論から影響を受けている、てーげー理論は、社会を記述する理論的端緒として差異から出発する。

 差異理論における、システムの創発には環境との区別、差異を必要とする。システムは環境との複雑性の落差の差異を境界とすることでシステムたり得る。ここで用いられる差異は、システムを構成する諸要素の関係性である。すなわち、システムの構成要素の<選択的/完全な>関係づけ、という差異において一方をマークすることでシステムが創発される。

 「世界」はありうる関係性の総体であり、人間学的見地からして我々にとって「世界」の情報を処理するにはあまりにも荷が重い。そこでシステムの諸要素を選択的に関係づけ、複雑性を縮減することが要請されるのである。

 前述したように差異理論は常に「区別」から出発するために、時に「区別」というタームに差別の思想を連想するホワイトブラザフッド達がいるようである。「区別は差別であり、「全部」あるいは「一切」が根本」云々といった果てしなく短絡的な思考は伝統的な存在論やロゴス中心主義へと繋がる。端的にお馬鹿である。

 てーげー理論では存在論を排除する。「区別」は単なるシステム創発の端緒であり、創発されたシステムが「全部」だとか「皆」だとか「一切」なんてことは正に”一切”問題としない。システムは後続する自己言及的なコミュニケーションの連鎖であり、構築主義的に社会を記述する。システムとは何であるかという問いに、単に「環境ではないもの」というパラドキシカルな言説が答えとなり、むしろ、差異理論でシステムを問うならば、「いかなる区別を用いて」システムが創発され、観察しているかということが問題となる。

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