自分から文学へ

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 私の書いたもので(ルーマンの)システム論に言及したものはどのくらいのパーセンテージを占めるのでしょうか。おそらくは少ないと思いますよ。私は文学的な志向が強いのです。文学的なものを書きたいと思ってます。
 
 それでもなぜか、再三、私はシステム論者ではないと云っているのに、システム論への安直でステレオタイプの批判が私の所に届く。そうすると、ああ、そんなことなら、こう応えられるよ、と、(システム論的なのかな?)たんたんと、批判を打ち崩していき、それがまた低レベルのシステム論批判を招き寄せているようです。
 

 学システムにおきましては、俺、ルーマンやってますって、自己表象することは赤っ恥の対象になり、システム論なんかマイナーな理論なんだから。(だからどうしたとも思いますが)だから、私には、ルーマンはダメとかシステム論はダメという批判は全く、限りなくゼロに等しいくらいダメージはないのです。
 
 最も何を云われようがダメージを感じるナイーブさなんてものは既に忘れてしまいました。
ただシステム論イカン!と云う方々が現れて、ああ、その批判なら、俺がルーマンだったら、こう応えるみたいな、のりなのでございます。けれど、私なんぞに論破されているようだったら、生前のルーマンくんと議論(そんなこと限りなくないだろうけど)していたら、あんた、こてんぱんにやられて、泣かされちゃいますよ。書名はあげませんけれど、ルーマンくんは、それは、かなりの論客でございますよ。ルーマンくん、英語でも論文を書いているから、言語を変えて、英語で向かい打っても、同じと思います。はい。
 
 私の文体へのご批判。それは、私も稀に自分の文章を読み返すことがあり、これは標準的な社会科学的素養をお持ちの方でも、キツイかなと思うことがございます。らりっているせいでしょうか。書き直すことはまずしませんが、「ああ君という奴は・・」はあまりにも、文章が酷かったので、若干、書き直しました。主張は変わっていません。
 
 けれど、最近は意図的に難しく書いている事情もなくには無く。やはり、難しい事柄は難しくしか、説明できないという私の主観と、難しく書くことで如何様にも読める、読んでくれたらいいなあとの希望も少々。ドゥルーズの「アンチ・オイディプス」のような、理解不能な書き方(私は日本語と英語しか読んでませんが)をすることで、それが破綻することなく文学的且つ、社会を記述する形式に工夫を凝らすことで、混濁した社会状況を表象しようとする、芸術的力動を感じさせる書き方ってよいな、なんて。学システムの事柄を学的なところから逸脱した書き方をしようとしていますが、破綻してますか?まあいろんな読まれ方をされることは、同一性からではなく、差異性から出発する、てーげーには反しないと思い、はい。
 
 それでも、個々の文章の有機的連関はかなり崩している部分もあるのですが、パラグラフ単位で見た時での論理性は保持するように注意しているつもりであります。これしないと、ほんと、ポエムになっちまいますんで。でも、文学的志向が強い、といいましたが、そこまで崩しておいて、尚且つ、学システム内で戯れているように読み手に思わせるのが、文学的且つ芸術的快楽であり、それ自体を生み出す原動力なのかと存じるところで。
 
 パンクなんか例に持ちだしますが、パンクが全盛なのは、70年台半ばから後半、数年たらずでしたが、今尚もパンクに熱狂する方がいらっしゃるのは、くすり使って、理解不能なファッションに、退廃的言説、おまけに演奏中にギターぶっ壊す、それ自体に魅力を感じるのではなく、既成のロックの概念から逸脱、破壊する試みを伴いつつも、尚、ロックとして成立しているパラドキシカルな行為が破綻せずに音楽になっていたからではないでしょうか。長々と書いて恐縮なのですが、私が社会学的なものよりも、文学的志向が強いというのは、文章に或いは書く作法に、そんな魅力を見ているからなのであります。
 
 日本語という市場のきわめて小さい言語が、文学的にこのまま退廃していくか、否かはロック史における、パンクの存在みたく、大きな失敗をする可能性を恐れずに、文章の冒険を重ねる作業が要求されるのではないかと思う次第なのでございます。ですが、「退廃」もまた実は非常に文学的なもので、それを生み出す源泉となってきたことを鑑みると、いやはや、事は単純ではございませぬ。つまり、道徳的な文学なんて、これっぽっちも興味のわくところではなく。文学は退廃的だからこそ、恐いけど、少し覗いてみたいという愉楽が生まれ、ならば、いかに退廃的であるかということもまた、文学の課題になるのでしょうけど、いかに退廃的であるかなんて議論された退廃的なるものって、果たして退廃的なのしょうか?皆さん!

 以上、システム論批判について、私の文体を通じて、文学論といかにも、退廃的且つ強引に書いてみた次第でございます。

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