てーげー革命について

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 「てーげーという観察」において書いた内容は前々から頭の中で、できあがっていました。ただ、書くには、時期尚早と思い、期を窺っていたのです。

 てーげーになんて全く興味もない方にはただの駄文でしょうが、あのテクストでは、てーげーを近代の進歩史観という亡霊を脱構築するものとして、「進歩」という暴走する白昼夢と関連づけ書いたつもりです。

 

 てーげーはその意味内容からいかなる観察もてーげーになり得る。そんな属性を持つてーげーを説明するには、最初にてーげーというシステムを創発した私の観察が鍵となるのです。なぜなら、わたしは進歩なんてものから絶対的に無関係な人格破綻者、無知、退廃的人間であり、それを当たり前として受け入れているからです。

 けれども、私の観察は進歩とは程遠いものですが、いかなる区別がされ、マークされなかった一方があるのかを私は見ることができません。

 進歩という暴走に疲れ果てた者は、私の見えていないものを見るという、セカンドオーダーの観察をすることで、てーげーはよりメタなレベルの経験的言及へと移譲され、てーげーという観察は自己言及的に連鎖されていく。その内に固有値が生まれればそれもてーげーです。

 てーげー革命は革命という作法ではなくて、私がてーげーというシステムを創発してから、既に他者が私のテクストを読むことで無意識のうちに私の観察を観察し、オートポイエティックにてーげーというコミュニケーションの連鎖が再生産し、革命は創発されていたので。それを革命を呼ぶならば、革命ということになるでしょう。


関連テクスト:てーげーという観察

参考テクスト:http://d.hatena.ne.jp/eculus/20050825 の無策氏のコメントを参照せよ。てーげー革命についての無策氏の解釈は、私の意図するところを判りやすく説明している。


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