ホワイトブラザフッドへのレクイエム 其の三、基礎教養授ける

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 学者諸氏が戦後の宗教の機能について触れないのは、端的に、そんなことは基礎教養だから。レトロな方は基礎教養もあまりご理解していないようです。

新興宗教とは、伝統的な宗教が社会の求めるニーズとの不和から生まれてきます。日本の伝統的な仏教的教義は、基本的に「死後の救済」でやってきたのですが、それに対する不満から「現世の救済」を謳い、多くの新しい宗教集団が台頭し始めるのは、戦後なんかではなくて、19cに入って既に始まっていることです。新興の宗教集団は所謂、新宗教と呼ばれ、創価学会新宗教の流れに位置づけられます。戦後、日本の人口の約10%が何らかの新宗教の信徒になっており、新宗教集団をいくらでも指折り数え、名を上げることは容易なことです。戦後の宗教、思想の状況を述べるに、創価学会共産党のみを強調するのは、あまりにも無知。

 私がホワイトブラザフッドの議論で語ったことは、70年代以降のカルトを取り入れた「新新宗教」、その後の宗教的状況でして、現在のそれは「宗教集団」という形式を選択せずに、個人的活動よる絶対者との合一という特権主義に基づき、至る所でホワイトブラザフッドが生まれている事実についてです。

 それから私は宗教がいけないなんて全く、ぜってー、フルに思っていません。ある原理に自己の生きる指針を求めて、それで、てーげーでいられるならば問題ないでしょう。ただ私は宗教的コミュニケーションにおけるパラドクスを提示することで、ファースト・オーダーの観察からセカンド・オーダーの観察へと移行、つまり観察の観察という今ある自己を相対化する知恵を提示するのみです。それでも、ある原理という外部根拠が必要な方がいてもぜんぜんO.Kでしょう。

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