区別に先だつ世界はない

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 暇なので書きます。まず批判はシステム創発の端緒となるのでありがたいのですが、批判される方、あなたが考えている批判は九割九分ありきたりで、誰もが想像するもので、しかも過去にたいていはお答えしているものだと認識してください。批判者のためではなく、新たな読者のために再び批判にお答えしていますが、僕、ふいに悲しくなることがあります。このご批判も例にもれず。

>選択地平という考え方によると、選択肢は最初に意識化、可視化されているということが前提となります。でないと、選択という行為そのものが成り立ちません。二項区別によって、どちらかの項をマークして選択するわけですが、選択肢としての両項は選択する前にはどちらも意識化、可視化されていたことになります。
 つまり、選択する前は選択肢たる区別された両項を鳥瞰して眺めているわけです。盲目になるのは、あくまでも選択後ということになります。
 
 そう考えると、システム/環境の差異も、選択に基づくことになるので、選択前はシステム/環境のどちらの項も可視化されていたことになります。


 これはホワイトブラザフッドの思考だとお判りにですよね?つまり、この批判の大きな間違いは、冒頭で区別に先だつ世界があるということを前提にして、終始、論を展開している。それから「選択」と「二値論理」の混同もあります。区別に先だつ世界という、ホワイトブラザフッド的、外部根拠を持ち出してきていることに本人は全くお気づきではない。区別よりも先だつものを想定すれば、それは遡及すれば全体性に到達するのは当たり前です。けれど、いいですか、区別には、先だつ世界はありません。なぜなら先だつ世界を容認するならば、その世界を指し示す区別が必要になり、あとは無限遡行になるだけです。

 引用部はファースト・オーダーの無知を象徴しています。つまり、本人は単にファースト・オーダーの観察を観察している、つまり、セカンド・オーダーの観察のレベルから議論しており、区別しマークされた側とマークされなかった側を見ているに過ぎないのですが、そんなことには全く気がつかずに、自分の観察はファースト・オーダーであると信じきっている。セカンド・オーダーの観察も他者にとってはファースト・オーダーの観察なのですが、熟考なしに、自分の観察を観察違いしているのには失笑です。

 正しいことをついているのは、最後の部分のみ、ファースト・オーダーの観察は区別したこと自体見ることができないということ。けれど再び言及しますが、ご自分はセカンド・オーダーの観察していることさえも気がついていない!

 参照コメント:http://jibun.seesaa.net/article/10314035.html#comment

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