自分-0ゼロ-

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 最近、理論的なテクストに偏りがちですね。僕の考えはここ5,6年、基本的には変わっておらず、書くことがないと、さくっと書けてしまうものでついつい理論的なものが多くなってしまうのです。
 
 では、僕が書くようになる以前のこと、なぜ書くようになったのかをお話しします。
 

 
 大学に入り、ああ、あの頃の僕の眼にクモリはなかった・・、そんなことはどうでもいいって。とにかく僕がまず入学して行動したことは、弁論部の定例会というものに、一人乗り込んでいき、将来、政治家になるため(今ではなった方もいますが)常日頃、理論武装というものに励んでいる先輩方に議論を煽ることでした。それは、弁論部でもない生意気な一年生が突然乗り込んでくるのだから、定例会に参加している弁論部員全員が僕への攻撃に眼の色を変えて、煽った議論にいとも簡単に乗ってきてくれるのです。結果、僕は、先輩方、一人ひとりをぐーの根もでないくらいに論破していくのでした。その当時、僕は既に社会学の基礎を独学し、理論もやっていました。僕は自分がこれまで勉強してきたことが、どれだけ通用するのか試したかったのです。もう逃げ道のないくらい論破された方は、まず僕への性格的な攻撃へ移行します。そうなると、こいつには勝てないと負けを認めたようなもので、さらに議論すると、僕への畏怖の念へと変わり、決まって弁論部の定例会に出席すると最後には、僕が質問に答える形式で先輩方に講義している体裁が常という奇妙な現象が見られるようになります。
 
 僕は決定的に自分が勉強し、考えてきたことに自信を持ち、その後、ヒッチハイクサークルというものを創り、一人だけで自分の思想を織り交ぜながら勧誘しコアなメンバーはそれほど多くはありませんが、最盛期にはサークルに所属している者は数百名になり、ますます自分の考えていることに自信を募らせることこなるのです。人を惹きつける技術を自分なりに勉強し、ある時は、オートポイエーシスの研究で知られている、河本英夫さんを大教室での講義において、痛烈に批判し、それは僕のもとに人が集まることを予期しての今となっては卑しい「わざ」なのでございますが、案の定、その後、悩みを抱える少なからずの学生から逢って話しがしたいとのメールを頂くことになったのでございます。この頃からしばしば、私のやっていることが宗教みたいと、云われるようになります。
 
 人を惹きつけるにはテクニカルな部分が大きく、何も思想が優れているからではないのですね。話し言葉は一度、発すると消えてなくなります。それだけに反証は困難になります。人のしがらみが複雑になるにつれ、僕は以前は疑うことのなかった自身の能力について何か虚しさを感じるようになります。その頃、デリダを読んだのも影響しているかも知れません。ご存知の通り、デリダはそれまで、エクリチュールパロールの単なるコピーに過ぎないと虐げられていた、エクリチュールの地位の復権を図ります。

 他にも理由があったのでしょうが、今となってはあまり覚えていません。ともかくある時から僕は人と集まる機会があっても、自分の考えてきたことを話しすることを止めてまいました。その代わりに、書くことで、自分の考えを他人の反証へと曝し、反証に対しては再び書くことで、できる限り答えるという作法へとシフトします。そうして今に至るわけですですが、一時的なものなのか、どうなのか、今は書くことよりも、何か違うことがしたい想いでございます。
 
 あの、今でも「自分」の信者なんて、揶揄されることがありますが、そんな方一人もいませんから。いたら、お金送って!400万頂けたら、半分は資料に使い、あなたの望むものをお書き致します。そんな感じ。
 
 思い出しました。以前に受験生の方から悩みのメールを頂、てーげー的に無責任にお答えしたら(どこかにそのメールをupしていると思います)、500円振り込んでくれました。貯金箱からのなけなしの500円を送金する受験生、それを有難く頂く私。私ってそんなものなのです。そんなものなのですよ。

参照テクスト:ある浪人生に対する返信

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