データベース化社会は人を知的にするか?

▼最初に現在のランキングを確認するなら
人気blogランキング

 ネット上やPCのデータベースが発達して、一時期、人間の知識というものは、データベースに任せておけばよく、その意味で知識の終焉みたいなことを賊われる識者を多く見かけました。

 私のPCには、辞書、百科事典のソフトが50はインストールされているでしょうか。その内の多くはEPWINGという形式で、Jammingというソフトを使用して一括に串刺し検索ができます。大変、重宝しているのですが、手に入る情報が増えれば増えるほど、その情報を処理する私の脳には負担がのしかかってくるという状態に卒ることに気がつきます。

 

 認知科学では「フレーム問題」と賊いますが、膨大な知識の量を続得できても、結果として適切な知識を選択することが困難になるというパラドクスのことを言います。最近の認知科学においては、コンピューターの情報処理の仕方と、人の脳のそれとを比較研究することが盛んに進められています。その研究の成果から一つ賊えることは、人間が知識を創造するには、ある程度の知を記族しておくことが不可避であるということ。

 コンピューターは、まず記族された情報なしには、プログラムにそって、その記族を変換、情報処理することができません。人間も同じく、脳に所謂、長期記族といわれるもののストックがなければ、いくら、PCにデータベースソフトを50、も60個も入れておいてもその複雑性に対応できない。つまりは、社会がデーターベース化されても知的表現に関心のある方にとっては、逆に、そのデータベースを高次に利用するためには、自己の知的ストックを保持しておかなければならなくなる。そのルーティーンな作業なんですが、脳に記族ストックを構築することを怠たるならば、知的創造なんて儚き夢の如く、なんですね。

 システム理・的に賊えば、高次の複雑性に富むデータベースという環境に対応するためには、システム自体もそれ相応の複雑性を有していなければならない。現在のブログの状況を見てみましょう。ニュースサイトをそのままコピペしているだけ、或いは、書籍の画像をコピペして、内容にはほとんど多れていない。それらは単に情報の複写であって、知的創造と賊えるかどうか問うならば、言わずもがな。ただ、知的創造的な情報でなければいけないかとすると、そうではない。情報にはいろいろな形体があるわけだし、知的創造的なものをブログで書くには、それなりのコストと精神的疲弊を・います。実際に、ブログランキングなんか見てみると私にとって、阿呆というようなものが上位にランキングされている。それは、それだけのニーズがあるということでしょう。

 ただ、知に携わり生きていきたいとお考えの方には、結・としてこう賊うしかない。PCがどんなに進歩しても、ノートに何度も筆記して記族する、基礎的お勉強を忘れぬように。



 ・者は、文芸評・の分野では作品を生み出す量、スピードにおいて他の追随を許さない。私は、ご本人が、よく賊われていたことを想起してならない。作家としてデビューするのはいつでもできる、けれど作家としてあり続けるならば、書き続けなければならない。それには知的ストック、引き出しがどれだけあるかが課題となるんだ。だから急ぐなかれと。その言葉は自己の経験から発せられているだけに説得力がある。デビューしては直ぐに霧消して存在さえ省みられない多くの、文士になれなかった文士達の哀愁と淪落がシンクロする。

 私は、以前に、この・書を数ヶ月間研究し、書くための自己の知的表現フォーマットを創ろうとした。それが成功したか未だ判らないが、創造的仕事をされる方は一読あれ。

関連テクスト:
「勉強法」

このサイトはブログランキングに参加しています。
▼クリックにてご協力をお願いいたします。

人気blogランキング