何故「てーげー」について書かなかったのか

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 僕は、「てーげー革命」「てーげー理論」だとか云っておきながら、示唆的には、てーげーを示してはいたつもりでしたが、長く理論的にてーげーを書くことをしませんでした。

 

 いつも、いいますが、システムとは環境との差異において立ち現れます。そして消えて、また知らないどこかで、知らない他者が創発する。よく目にするお決まりの言説に「現代の社会システムは○○・・・」というものがあります。ルーマンの理論を意識して、そんなこと書いている者が少なくないのだから、ほんと、ここのところルーマンの著作の翻訳が立て続けに、出版されていますが、まず読んでいないし、いても、判っていない方々がほとんどですね。それで、その○○に入るフレーズは、現代社会を悲観する観察を持ってくる。

 僕はもう遠い昔、うつなのに、鬱日記において、現代社会を悲観してない趣旨のものを書き、今もその考えは全く変わっていません。ほんと社会に悲観し文句ばっか云っている者は、馬鹿のおお馬鹿だと思います。あんたにとって悲観すべき社会ならば、文句たらたらしてないで、如何に悲観すべき状況を打破すべきかを考えるほうがスマートであり、建設的でしょう。

 その打破すべく一提案が「てーげー」であったのであり、それは、存在論脱構築し、区別しなおし観察を不断に連鎖させていくことで、あなたの「てーげー」は何さと、問うことでした。

 僕は何か新しい言葉や思考を書く場合、シンボリックなタームを使い、まず検索エンジンで調べて、どれだけ、その言説が社会に浸透しているか確認して後に書き始めます。てーげーに関しては「てーげー主義」なんて云っている者はほとんどいなかったように思います。ましてや「てーげー革命」なんていわずもがな。

 けれど、僕がシンボリックに「てーげー」を語ると、システムは創発されネット社会の強みをいかして、どんどん浸透していく。現在、両タームをヤフーか何かでお調べください。ちなみに「ホワイトブラザフッド」の場合、検索エンジンにひっかかったのは、二件だけでした。
「鬱系」も今では当たり前に使用されていますが、ひっかかることはなかったと思います。

 こういった僕の意図するところを指し示し得る、シンボリックなタームを定期的に、検索エンジンで調べていくと、爆発的に短期間で検索エンジンにひっかかる数が増大するのですね。それは、つまり「てーげー」ならば、「てーげーシステム」が創発されているということであり、僕の役割はシステムを創発することで、後は「てーげーシステム」が自己言及的、オートポイエティックに連鎖していく。てーげーを理論化する必要なんかないのです。

 ですが、てーげーをあえて語らないのはずるい!だとか、てーげーってシステムなんですか?だったらどんな区別がされているのですか?なんていう、質問がされるようになる。だから、てーげーは差異で生まれるのだから、あえて語るならば、環境ではないものでしょ、と両質問なり批判になってない批判に、3秒でお答えできるのですが、けれども、こんな発言がでてくる以上、少し知の底上げをしなければと思うようになります。

 てーげーに関しても、何年も前からカードを書きためていたので、いつでも書ける状態だったのですが、本当はもう、システムが創発されているのだから、書くなんてめんどっちいというのが正直な気持ち。

 そんなこんなで、ここ一連の投稿がされるのですが、今は書いて良かったなと思っています。明確にはなっていませんが、てーげーはもうイケてないという気持ちはなくなり、新たな理論的な可能性として、まだ使えるタームだと思うようになったからです。いかにてーげーが進化するかは、或いはしないかは、これからのお楽しみ。

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