ねっ、言説をシンボリックに提示すれば、後は勝手にシステムがまわっていくっていう話の話し

 ベムがさ、俺が散々とまあベムを含めて識者に批判を喰らわす。それに対して何一言もだれも云えなかったわけね。それをベムは失敗というけれど、俺にしちゃー、まあ、観ていなさいって面持ちなわけ。

 社会学で云えば大衆なんだけど、大衆は盲目的に情報を信じ込む傾向があるからね、このマスな者たちを六畳の小さな部屋のコンピューターから情報を発することで自己が意図したように操作することは容易なのね。コツは単純明快でシンボリックな言説をネットで投げかけるわけ、しかも、あの3ファミリーは、まあ誠意あるコメント、トラバに対応してるのだけど、読者はなぜ、この人に触れないのかと思うわけよ。実際、沢山の方々が俺の記事を読み、「表」に流れ込んできているわけね。これでもう俺の中ではあとは待つだけという気持ちなのさ。

 ルーマンの観察の形式は知らないだろうぜ、ほとんどの方は、でもこれまた無意識の内に区別による観察をネット上の言論空間でするようになる。どこで、仕入れてきたかも判らないけど。何となく、これ使えるみたいな感覚?使えねーという批判も、同じ区別のもう一方を指し示しているのだからよ、区別に基づいた観察の形式を強化してくれるのに、一役買ってくれてるわけ。

 俺は暇さえ、あれば、サーチエンジンで自分の創った言説を調べて、数が増えていくことを観察しているのね。また、ニュースでは流れないような裏のネタも、サーチエンジンで検索することで、社会構造というものが見えてくるわけさ。俺はテレビをもってなくても、社会の趨勢をちゃんと把握できるし、さらに社会の趨勢を作り出していくことも簡単なわけ。

 試しに、「区別 観察」ってサーチエンジンで検索してごらんよ。一度、創発したシステムは主体と乖離し、恐ろしい勢いでいたるところで、システムの創発が観られるようになるわけ。ほかにも、いろいろこつとセンスが必要なのだけど、社会の趨勢を創出するにはな、めんどいから、教えない。ばいばい。
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