はい、馬鹿、はてなで一匹

 おめえよ、アリストテレスからはじまり、中世においてスコラ学が神学を担保するために使用した形式論理学がもしかしたら、論理学とおもってねーか?はっ?

# 三原論主義者 『 あのね。全ての思考は究極的に矛盾しているので、相手の矛盾をついても意味が無い。結局、己も矛盾しているから。人間の論理自体の中に矛盾が含まれている。論理とは、矛盾/無矛盾という区別で観察することなんだ。これが形式論理学のコードだ。このように矛盾を原理とするわけさ。そのようなコードにかかわりなく叫ぶ者に対して矛盾もへちくれもないと思う次第ね。これ・・・。感想文に対する攻撃は、論理でもってやってはいかんよ。感想文には、論理はないわけだから。小林よしのり的作法で対処するのが一番ね。感情のみが思考と違って矛盾とは無縁なんね。感想文は感情で処理しよう。もちろん、怒りの感情だけじゃないぞ。怒りズムだけでは芸は無い。とほほ・・・。』 (2006/03/26 20:50)

 しかも形式論理学の根本原理には四つのパターンがあるのだが、こいつ矛盾原理だけを、俺を舐めてるのか、いじって遊ばれてるのか、こいつも、ふるぼっこ対象だぜ。形式論理学アリストテレスが三段論法として用いて知られてるんだが、散々に批判されたものを、こいつは論理学と思っているところを、皆の者、笑え。

 矛盾なんていくらでも見つけられる、俺が云ってるのを、おめえが、おいらしってるけんね的にオウム返しすんなよ。それを知らないで、「矛盾してる」という批判があるから、それに対しての対策で書いてるのって、おめえも文字が読めねえのか?矛盾がネガティブに捉えているものに対して、矛盾返しするのは大いに有効だろうよ。

 こいつの阿呆なのは、区別って根本原理の批判から区別による観察という形式が生まれてきたわけで、さらに、区別はいくらでもあらたに区別し直すことができるってことを死ぬほど、言い続けてきたのも、全く理解してねーから。つまり区別と原理は相いれない、矛盾しあうものだけれども、世の中矛盾だらけで、形式論理学のコードは、矛盾/無矛盾という、矛盾なことを云えるのは、おまえがいう小林的対処というものなのかよ?はっ?

 論理の矛盾をついても無駄だという君、こまった君、これを読んで自尊心に全く傷がつくことがなかったならば、論理はだめということになるけど、おめえみたいな、「しったけ」が一番、論理のげんこつくらうと傷つくわけな、これまでのパターンでは。そんなこと俺にはどうでもいいことだけどよ。「裏」は俺が頭に浮かんだことを書きまくり、遊んで、おともだち作る場所だから、アホなこと云いたければ、表にこいよ。そっちのほうが、聴衆がだんぜん多いからさらに、赤っ恥を受けることになるしなって、俺はド素人の相手はしない宣言したんだっけか。

 皆さん、これも「矛盾返し」なわけ、つまり、こいつの形式論理学の知識は間違っているのだけど、矛盾をついても無駄という話も結局は、矛盾という区別の反対項を指し示しているだけでしょ。こういう奴も同類の普通の批判だから、普通に矛盾返ししておけばいいわけね。おわり。

関連テクスト:http://jibun.seesaa.net/article/10314035.html

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