で、その響子さーん!のつづき、或るいは高橋留美子論と宮崎駿論

 ああ、はてなってらくだわー。シーサーってほんとクリック、クリックが沢山あって、おまけに再構築失敗なんてのもあるから、書く気しないんだわ。「裏」が正規版になってきている感があるな。はてなは思いつけはすぐに書き始められることができるからね、楽だわー。まじで。

 響子さんの話。でも厳密には、「めぞん一刻」ってリアルタイムでは読んでいないんだよね。その後の「1ポンドの福音」とか「人魚の森」とかは読んでたけど、「らんま」がどんぴしゃだな。高橋さんって、「らんま」から、おこちゃま大衆路線にシフトしてしまうわけだけど、「うるせえ奴ら」とかも大衆路線って気もするかもだけど、やはり、あれの世界観ってのかな、話しの展開がストーリーごとに全く違うよね、その点、今、書いているものと比べると作品の深さが「うるせえ奴ら」とは、まるで全然違うな。

 また、あの頃のようなの書いてほしいけどね。既に「描きのスタイル」もぜんぜん変わってるしな。これってよくあるよね。同じストーリーでも、一巻と最終巻では絵のタッチが全く違うことね。実際、「めぞん一刻」もそうなんだけど。けれど、最近になって何人かの後輩に薦めたら、皆、はまってたからね。あれはすごいな。当時、あれ読んで浪人してしまった多くの人たちはいたと思うぜ。だから、高橋留美子は戦犯になるのか?俺の響子さんは、悪の権化なのか?って、しつこい?ごめん。

 受験生がはまる漫画ってあるよね、少しまえでは「東京大学物語」だけど、あれはもう、ストーリーのジャンルが変化を遂げた面白い例なのだけど、連載当初はあれって、ただのエロ漫画だからね、エロから当時の受験生は誰もが読むものへと変貌したのは興味深いな。あと、まあ知っている方は知っているけど、案外知られていない名作があり、「冬物語」ってのがあるから、ご一読あれ。

 たいてい漫画、アニメおたくは、アニメージュは買うのは当然で、声優に恋をしてしまうのもお決まりのパターンなわけさ。俺も島本須美に本気で恋をしたわけね。響子さんの声優さんなんだけだよ、それより、ナウシカって云えば、判るか。あと、カリオストロクラリス姫な、常識だけどあれは宮崎さんが手がけたものだからね。もう、ナウシカが生まれる萌芽を感じれるよね。っていうか、クラリス自体ナウシカじゃんって話しだよな。あと、実際のルパン三世のアニメシリーズで「アルバトラスの翼」も宮崎さんなんだけど、あれはもうそのまんま「ラピュタ」へ繋がっていってるよね。その前に「未来少年コナン」があるけどよ。ちなみに、ナウシカはキテレツ君のお母さんでもあるから。あと、昔のしずかちゃんは、わかめちゃんだからね。ああそれよりも戦犯はクリカンがルパンをやってるってことでしょー、先輩。
 宮崎さんも、大衆おこちゃまアニメ映画を創るようになってしまったのだけど、つまりは宮崎さんの「全盛期」は、世界なんかで賞とる遠い昔、「ラピュタ」、「ととろ」ぐらいで終わっていて、余生に創りだしたのが、なんだか認められ、それでもって以前の名作である全盛期のものが観られるという逆転現象がおこっていて、おもしろいな。かなしいけど、もう、ジブリ自体が組織化してしまっているし、そうするとどうしても宮崎さんはマネージもしなければいけないわけで、もう、昔というか、あの全盛期の頃のようなものは創れないんだろうな。おわり。
 ああ、それから宮崎アニメには、久石譲の音楽の貢献は云うまでもないけどかなりあるからな。昔はよく「ゆずる」と読む人はいたんだけど、「ひさいしじょう」だから。北野たけしの映画も、あの世界観を創り上げる大きなモメントとなっているのは確かだね。
 追記、これも常識だけど、「おもいでぽろぽろ」とか宮崎アニメの路線で考えちゃだめだぜ、高畑さんと宮崎さは一緒に仕事をしても、役割が違えば、作品も全く違うものになるからね。あれは、宮崎さんが監督ではなくて、高畑さんが監督であり、宮崎さんはプロデューサーだからね。だから全く質的に宮崎アニメとは違うって一目瞭然だよな。おわり。ばいばい。

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