テレビの見方

って俺はテレビ自体持ってなく、持ってなかったのだが、最近、愛すべき女に棄てられ、同棲生活にピリオドを打ったのはいいが、お家がないという奴を拾ってやり、そいつがテレビ大好き人間であり、ヘッドホーン着用のもと視聴することを許し、ってこんな話しどうでもいいか。まあ、そいつのために今、テレビはあるのであるが。そいつも何とか一人暮らしできるまで金をため出て行ったので、ああ、テレビさんはろんろんの日向ぼっこのお気に入りの場所だけのために存在している。

 あのー、報道やドキュメンタリーでさえも事実なんて云ってないからね。そこには、必ずバイアスがかかっているのだけれども、そのバイアスに操作されない方法を書こうと思ったけど、面倒だからやめた。

 簡単に言っとくと、「表」で区別に基づいた観察の形式についてたびたび触れているから、それを参考にして、その番組が指し示していない側を見るようにしろ。見えてない側と照らし合わせて、本当に指し示された側が、必ず番組には「意図」「主張」「伝えること」があり、それを視聴者に気がつかれないように、すり込むのだが、その意図を上記の観察の形式を利用して見抜き、後はいいとか悪いとか、事実とかそうでないとか、俺はどうでもよく、君が関心があるなら、そこから議論に入ればよい。

 いいですか、全てのプログラムは隠蔽された意図があり、それは企画段階で立てられ、それを支持するための映像を集め、もちろん不支持の映像も支持するように編集して巧みに使い、盲目的に見ているだけでは、そんなことは誰も気がつかないから、刷り込まれ、日本人マスコミの主張をオウム返しするロボットになっちまってるけど、見方は自由だが、俺は隠蔽された意図をさぐり、意図は指し示されたもので、指し示されなかった世界が必ずあるということを念頭においておくほうがスマートなテレビの見方だとは想います。

 ましてや、企画ものなんて予定調和なのだから、収録される前からどんな番組になるか、司会者もゲストも判っていて、その企画を成功させるために、求められる仕事をする、求められるセリフ或いは、既に台本に書かれているセリフを、さも自分の意見の如くはいてみせる。司会者でもコメンテーターでもゲストでもさ、プロとしてお金もらい仕事するには、そんな事、当然のことであり、けれどもおこちゃま後藤くんがまた、「ミムラつっこみ」を司会者やゲストの言説に入れているのは、ほんと、テレビを批判的に見るという以前に、番組ってどうやって創られているのか、メディアの側に少し足を突っ込んでいる本人が全く判っていないのは、お気の毒。本田もそうね。細木がどうかではなくて、あいつなんてお人形さんなんだから、番組の求めるように立派に踊る、お人形。けれどそれをするのがプロだし。そんなこと、いい年こいてメディアで発言しているあんた判ってないのかね。参馬鹿ファミリーは無害だからいいや。

 それとプログラムは映像とナレーションと音楽から基本的に構成されているよな。映像はいかにも公平なものを流し、けれどバックに流れる音楽はめちゃめちゃ怪しげで不安を煽るようなものが使われ、ナレーターの声色もやや沈みぎみ、これ普通に見ちゃうとその映像で写されていることは、いけないことなんだって、だめなんだってすり込まれてしまうから、その点にも気をとめ見てみたら。世界をそっくりそのままテレビのプログラムで表象するなんてことはできないんだから、つくり手はどういう切り口で映像をつくり上げていくか考え、そこには高視聴率獲得という強い願望があるだろうし、それにはセンセーショナルであれば、あるほど映像倫理内においてね、目的達成に近いものとなるだろうよ。

 区別を読み取り、指し示されなかった側を観よ。

http://kgotoworks.cocolog-nifty.com/youthjournalism/2006/03/post_7e81.html
http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/

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