祖父母の思い出

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 祖父は学者気質な方であった。幼い私を居間に呼んでは、いつ終わるのか判らない説法を聞かされたことを幽かに記憶している。幼い私にはその内容を理解する能力はなかったが、頭の回転が速い人だと漠然とだが畏怖の念を抱いていた。

 祖父の家は母屋と土蔵がつながっており、土蔵の急な傾斜をした梯子を上って突き当たりの天井の引き戸は土蔵の二階のへ続く、隠し扉になっていた。薄暗く隠れ家のような土蔵の二階は、私のお気に入りの場所であった。そこには祖父の夥しい蔵書が書架に納まり、知識の小宇宙のような様であった。私の知への憧れは、少なからず祖父の影響を受けている。祖父は私が小学校四年の時に、肺がんで亡くなった。祖父の急逝の知らせは、地方新聞の記事になり、葬式の日に首相から勲章が届けられた。祖父がどんな功績を残したのかは不確かであるが、学問と教育の成果が認められたのではないかと思う。

 祖母は機智に富み、バイタリティにあふれた人であった。細かな手作業を巧みにこなし、芸術的な才能に恵まれていた人であった。今では人形作家として大成している。祖母は健在で今尚、芸術活動に熱心に取り組んでいる。私の祖父母の思い出は幼い頃のもので、祖父や祖母の人生遍歴には今の今まで無知であった。ネットにおいて初めて祖父母の人生を知り、即ち自分のルーツのようなものを意識した次第である。祖母と再会する日は訪れるだろうか。素行の悪さから家族、親類と縁遠い私には再会の機会はないかも知れぬ。

 私には長年気がかりなことがある。それはあの土蔵の二階でみた祖父の蔵書はどういった文献なのだろかという興味である。私に影響を与えた祖父はどんな物を読んでいたのだろう。読書家は他人が何を読んでいる物に非常に関心がある。ましてや祖父となると、なおさら気持ちはつのる。ネットで祖父について触れたテクストを検索してみると、思いのほか容易に発見することができた。ある方が明治時代に建築された祖父の家を訪れたことを記述していた。土蔵のあの部屋は戦前の哲学や思想に関するものばかりだったそうである。

 現在の私は微力ながらも、祖父と同じ学問の分野を勉強している。祖父の興味との一致は単なる偶然の出来事であろうか。私はやはり血のつながりということを意識せざるを得ないのであり、祖父との共通項に幽かな喜びを感じているのである。


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