構築主義は嘘つきか?或いはてーげー的戦略について

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 最近、コメントやメールを頂き、構築主義について触れているものを読む機会が多いのですが、てーげー理論なんて、また、赤っ恥なタームを用いてしまいますが、あの、その、頬を赤く染めて云いますが、てーげー理論も構築主義というものを志向しています。

 

 けれど、構築主義には、これまた耳にたこの批判があり、また構築主義を標榜する側でもその批判を批判としてではなく、理論に取り入れている節もなきにしもあらず。

 構築主義の陥る誤りというのは、全ては構成されたもの、つくられたものだから、社会や記述対象は実態なんてなく、全てはうたかたの夢みたいに主張してしまう傾向があることです。

 再度、赤っ恥に云っちゃいますが、てーげー理論はリアリティというものを排除しません。何らかの記述する実態がなければ、区別して指し示すことの意味ないじゃん。そうではなくて、てーげー理論の蟻んこのように、ちっぽけな目論みがあるとするならば、それは、もし自己のいる場所が居心地の悪い場所であるならば、その居心地の悪さたらしめるメカニズムを理論的に記述し、そして、「てーげー」という本来のシニフィエをシンボリックに利用して言説化することで、確固つきですが、あらゆる区別を駆使して、居心地の悪さからの脱却を図ることができる、かも知れない、ということ。区別が自己言及的に作動することにより、区別のバリエーションとしてのゼマンティクが社会に蓄積され、てーげーという自己言及的なネットワークが拡張されていく、かもね

 あるゆる実態を無視してしまうと、理論的整合性は失われるのは、云うまでもありませんが、「すべては幻なんだ」なんて云ってるのって、反抗期の中学生が「大人たちはみんな嘘つきだ」と校舎の裏でタバコ吹かしながら、友に愚痴っているレベルと変わらないから。大人になれないまま旅だってしまった尾崎豊の苦悩に陥ることなかれ。

関連テクスト:「外在的な社会に生きにくさを感じる者へ、或いはその脱構築」

 http://jibun.seesaa.net/article/2181885.html#comment マーカ・シャーナ氏に対する私 の答えを見よ。

参照コメント:http://newsta.jugem.cc/?eid=11(アンチ君のコメントを見よ)
       http://d.hatena.ne.jp/eculus/20051023/p3(無策くんのコメントを見よ)

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