てーげーは終わらない

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 ダーウィンの『種の起源』を社会理論に適用し、社会は次第に進歩していく、という観念が近代の代表的なゼマンティクとして使われるようになる。

 

 スペンサーは「社会ダーウィニズム」の先駆となり、その理論はアメリカではサムナーに受けつがれ、経済政策として自由放任主義をもたらした。さらにアメリカとは違う亜種という形態で、スペンサーに強く影響された国がある。ご存知の通り、自由民権期の日本である。自由民権運動は敗北として終焉を迎えるが、スペンサーの理論は日本の近代にすり込まれ、国民国家としての日本国を創るのに良くも悪くも機能することになる。

 現代では、どうか?ホワイトブラザフッドになれきれない、スピリッチュアルな者どもは「癒し」、「ヒーリング」の押し売りをする。その言説の背後には、「いやされていないあなた」は「癒されるべき」という進歩の観念が薄ら笑いをしているのに誰が気がつくか。

 癒しや救済というゼマンティクが利用されれば、それはオートポイエティックに自己を再生産していく。けれども近代には、それ以外のゼマンティクも使用可能であることを、愚か、退廃的、自己破壊的な私をセカンドオーダーの観察に曝すことで、てーげー革命は決定主義ではなく、みしらぬ他者達に不断に創発されつづけるという作法で革命をきたす。その捨て石になるのは、てーげーという観察を最初に創発した私であり、てーげーであるから、捨て石となることに「物語」を見い出して御センチになったり、気負うこと皆無。私には書ける時間的なリミットがある。だが、生み出されたテクストは書いた者から遊離し、例え私が消えた後においてもテクストだけは亡霊のように、ネットワーク社会を漂いつづける。私には終焉があるが、「てーげーは終わらない」。 

 ただ私の観察を観察せよ。

関連テキスト:
「てーげーという観察」
「生まれた、生きた、死んでいけ」
「てーげー革命について」

参考テキスト:『近代の観察』読書会 未完(区別に基づいた、観察についての知見のためにどうぞ)

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