典型の批判「矛盾している」への対応方法

 あのさ、この批判って典型ね「矛盾している」、で俺は批判と呼んでいるものは、一応「矛盾」しているということを論理的に説明しようと努力しているものね。「非難」と呼んでいるものは、「矛盾している」と言っといて、何を論証していない。あるいは、これを俺は「感想文」「お説教」といっている。

 でもよ、普通にがっこう教育を信じて、学んできた人、日本国民のほとんどはね、この見分け方もわからないし、何がだめな文章なのか破綻してないのかも判ってないんだよね。俺自体、他者を説得する文章法はアメリカで学んだんだもん。俺が闇雲にだめだし、してると思ってるかもしんねーけど、明確な破綻してない/している、という区別がありそこから云ってるわけ。それって、てーげーじゃないじゃんってよー、てーげーの示唆する一つはいかなる区別も投入可能なんだってことなんだけど、その選択肢の中には投入せずに明確な区別に依拠する区別も許容できるんだということだからな。

 あんたらよ、何か道徳的にいいと思われるものを書けば、それに共感してくれる人が現れてくれて、それがよい文章なんておもってなーい?これを書くのが「お説教」「感想文」の人たち。

 ああ、矛盾をついてくる人の対応ね、こんなの容易にやっつけること可能なわけ。あのね、人間の所作なんて矛盾だらけなわけ、けど不可視化されている場合もあるし、されてなくてもほとんどの奴には見えてないから。だから、矛盾なんてね、論理とは何かを判っているもの自体少ないのだけど、それが判るものにとっては、いくらでも突くことができるし、さらに想像力がプラスされれば、矛盾を突いてきたものの矛盾を構築することさえできるわけ、いくらでもね、エンドレスで。

 まず、「矛盾」をついてきたものに、そいつの云うことに「矛盾返し」してみろ。まず、相手は、あんた判ってないよね的に来てるから、脇が甘いわけ、そこにすかさず、「おまえこそが矛盾してるんだ」ということを書く。「感想文」ではだめよ。後藤氏と愉快な仲間達のページみたくなるから。そこに気をつけて「矛盾返し」してごらん、サウンド・オブ・サイレンスが訪れるから。おわり、ばいばい。

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