waterbird.jpは商売上手なのか、ふるぼっこか?

http://waterbird.jp/ ここはどうなのだ?アマゾンで検索した書籍をブログでその書籍について触れているものを検索させる。君たちの書かれたテクストを読んで書籍を購入し、こいつはフリーライドどころか、ただ儲けだよなー。これがアフィリエイトで利益目的はなく、例えばある機関が書籍の情報提供としてやっているならば、大いにけっこう。しかし、こいつは、おまえ達がかりかり書いている間、鼻ほじってて、その「かりかり」を読んで書籍を購入した金はまた、こいつの鼻ほじりへと再帰するんだよなー。それってどうなのよ?
法科の院にいっている者、答えろ。

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騙されない文章の読み方、或いは赤っ恥るとは何か?

 
参:http://jibun.seesaa.net/article/17422948.html#more
  http://jibun.seesaa.net/article/17379847.html

 批判理論、ドイツ語ではkritische Theoryは聞くが、後、批判的社会学というタームも60年代以降のパーソンズの機能主義に対するアンチとして聞くわな。おいら、批判理論のことを批判的社会理論と云っていた方と出合ったことはないなんて、云うのは野暮だよな。

 このお方、社会学的作法Blogを少し読まれたようであるが、俺が既に終わっている人たちという範疇に典型的且つ、づばり、まんま、はまっているのには気がつかないのであろうか。

 まず、再び「感想文」書いてくるところ。俺が感想文と云うのは、全て宣言的知識の言い切りで、どんなもんだい、おいらの知識大したもんだろ的に固有名詞を羅列して、はい、さいならって。おまえもベムと同じなのか?

 皆さん、だまされないテクスト読解に、宣言的知識/手続き的知識、の区別を導入して、読んでみ。詳しくは、下記のリンクに書いてある。あとこういう困ったさんの無害化の仕方もついでに書いてあるのでご参考あれ。
http://d.hatena.ne.jp/punksid1979/20060401/1143828354

 上記のリンクを読んだか?それではもう再度下記のリンクに飛び、今度は構造構成主義のコメントを読んでみ。全て、「〜は〜です」「〜は〜ます」みたく、コミュニケーションの接続に頓挫をきたす宣言的知識だけでテクストが構成されているのが判りますよね。少し知識らしきものを織り交ぜて言い切ることで、ド素人は結構、説得されてしまう。
http://trickystar.blog59.fc2.com/blog-entry-7.html

 宣言的知識が出てきたら、その後にどのようにして手続き的知識でもって先行の知識を料理しているか、論証しているかを注意を払え。けどよ注意を払うも何も困ったさんは再び固有名詞の羅列し、宣言的知識を振りまいて、はい、さようならーって。そんなコメントするな悲しくなるから。こんなお馬鹿は、はい、never see you!なのだが、これからも外部根拠に頼って自意識を懸命に温存し生きていくそれで本当にいいのか?。って俺には全く興味ないことだが。と云って、最初のリンクで述べているように、困ったさんの無害化が終了するわけね。

ああ、でもまたコメント付けているってのは律儀な奴だなー。全部、感想文と言い訳だけど。でも書いちゃったからな投稿しようか?どうしよ?裏に隠れてひっそりと投稿しとこ。リンクはちゃんと張っとくけど。もうあんた赤っ恥を曝し、これからもテクストはネット上を亡霊のように漂い続け、君の赤っ恥の痕跡は消えることないのだから、知らんものは知らん、判らんものは判らんと云え。宣言的知識を羅列しても何も君自身の能力とは関係ないのだから。君、君よ「俺の友達で芸能人がいるんですよー」「俺の友達、全国模試で一位取った奴いるんですよー」と自分は悦楽と満面の笑み。そこに君は儚さを感じないか?

 けれどこういう外部根拠で自己の虚勢を構築する輩は案外潰し安いわけ。2つでもいいけど、まあ3つ以上の学的パラダイムや理論、学派を云う奴はプラトンの対話編のように、それらのミクロな部分をついて問いをなげかけていくわけ。そうすると絶対に答えに窮することになる。知はブラックボックスとして成り立っているということ。どんなに全知全能と想えるような識者でもあらゆるものに万能な者はいないのだから。だから安易に宮台さんばりで「〜学的には」と云うのは、危険だよと云うわけ。必ず、その「〜学的には」のプロフェッショナルがどこかに存在している。そういう方は自分の専門分野に対する発言にアンテナ張り巡らしているからね。こういう方が出て来るともう一生の恥をネットに曝すことになる。無頼は虚勢ではないから、無頼の作法は、有能な方はリスペクトしつつ、論理的に相手を潰すということ。

 ちなみに「表」にリンクしてある、昔の鬱な掲示板ダイジェストの俺の議論を一度見てごらん。残っていると想うぜ。余りにも俺が馬鹿なので自己嫌悪に陥るため、俺全く読み返すことしないのだがな。いろんなな社会学理論や思想家、哲学者を引用して、もちろん俺は羅列することで終わらず、きちんと説明しているはずであるが、あの頃は自己の主張を外部根拠で補完し議論することで終わっていた。現在では偉い理論家の引用なんてまずしないし、名も出すこともない。それは理論を外部根拠で補完しない理論の説得性とは何かということが判っているから。今から考えるとあの頃は俺は相当アンポンタンだった、けれど純真でもあった。笑うな。けれど困ったさん達は、あの俺のアンポンタンの時代よりもアンポンタンであることだけは確かである。

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仮に君がロス市警に配属になったとする、ハンドガンを選ぶに辺り君は何を選択するか?

 この問題は結構深いぜ。まず、リボルバーかオートマティックかという選択になるよな。リボルバーの利点はジャムることはまずなく、トリガーを引けばほぼ100%に限りなく近い確立で弾丸が発射される。つまり、実戦でガンにトラブルが起きるということは致命的なことであり、その点、弾丸を発射させる構造が単純なリボルバーは故障は少ない。
 けれど装てん時の弾の数は6発というものがほとんどで、キツイね。これで例えば38口径のようなリボルバーを選択するのは、危険を伴う可能性大。殺傷パワーが低い38口径を持って、麻薬常習者の逮捕に向かうとする。相手が抵抗して38口径の弾をぶち込んでも、麻薬でもう感覚が麻痺しているため、全く打撃を加えることができない恐れがある。ダーティ・ハリーでイーストウッドが使っているのは、スミス&ウエッソンM29、これ44口径で所謂、マグナム弾と云われるものを使う。これは像をも殺すと云われているくらいで、38口径と比して犯罪者と云えども、皆殺しにしてしまう恐れがあるのでお勧めしない。そうすると357マグナムぐらいが妥当というか、これも十分、殺傷能力に優れているのだが。俺が選ぶとするとスミス&ウエッソンのM66の銃口の長さは4.5インチがいい。4.5インチよりも短くなると、スタイル的にはかっこいいのだが、命中精度が著しく落ちることになる。6インチは理想であるが、長すぎて邪魔である。

 疲れたからつづく。

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えっ、ブログランキングに参加することって何か特別な意味を持つの?

 ブックマークしてた奴が俺がみたいな者がブログランキングに参加するのは興味深いって書いてあったのだけど、それってどういうことが云いたいのかな?世の流れみないなのあんま判んないから、なぜ興味深いのか?ってのが気になる。だれか教えろ。

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聖なるガンマニア

 なんか、テーマが「表」っぽくなっていることに気がつき、軌道修正しよう。
 あのよ、よく事件でさ「通行人の主婦がエアーガンで狙われるなんて」結構ニュースに取り上げられるよなー。世の中にはガンマニアという種族がいてな、一番心を痛めているのは彼らなわけ。ガンマニア度が深ければ深いほど、そのガンマニアの倫理の意識は強くなるわけ。

 これマジだかんね。おいら様々なものにハマッテきたのだが、その中に一つにエアーソフトガンというのだがな性格には。ガンにガスを注入してそのガスの噴出する勢いで直径6ミリのBB弾を発射する。一般にハンドガンと云われるものは。最初にエアーガンにはまるとやっぱりいろんな物を撃ちたくなるわけ。そんでもってサバイバルゲームなんてな、おいらは、山口の城下町に育ったので、周りは山だらけでいくらでもサバイバルゲームできる場所があり、学校が休みの日には友達がうちに集まって山へと出掛けていくわけ。

 最初はゴーグルなんてものも付けないでただ撃ちたいという気持ちだけね。これが、例えば、眼球近くに弾が当たったりすると、こりゃ危ないということで皆、ゴーグル着用せよ!というお達しがでる。

 エアーガンで遊んでいて弾が眼球にあたり失明する事故や、後は先に触れた報道がされるような無差別乱射みたいなことがあると、政府の圧力がかかりメーカーは自主規制するようになるわけ。これをマニアは自分達の趣味の世界が侵されるということで苦虫を噛む思いなのさー。彼らこそ自分達でルールをつくり倫理的に人の眼に触れぬように遊んでいるのを、素人の事故や事件でメーカーが自主規制するといろんな意味でのモデルガンとしての質が落ちていくのな。

 BB弾でも軽いものからやや重めのものまであり、やっぱ重いBB弾があたると痛いし危険ということで、軽いものを使う。さらにBB弾がプラスティックだからそれを自然にばら撒くと分解されないまま自然の中に残る。だからわざわざ、微生物によって分解されるBB弾をつかったとかしてるわけね。

 だいたいさ、メーカーの規制で今、ガンから発射される初速が0.8とか0.9とかって聞いたけど、そんなものおいら達が遊んでいたころと比べると、おこちゃま用みたいなものなわけ。ああ、初速ってのは、弾を発射させて一秒に飛ぶ距離な。おいらが遊んでいた頃からメーカーの自主規制が強くなりはじめて、それでも初速は1.6ぐらいあったと思うぜ。

 これでも俺の仲間の中では信じられない規制行為だったわけ。要は初速が遅くなればなるほど、弾の威力がなくなるのだからサバイバルゲームをやっても遠くの敵を倒せない。届かないんだもん。

 今のエアガンで狙い撃ちされても衣服の上からあたったら、あたったことも気がつかないパワーだろうな。それでもあんなにニュースでエアーガンが危険みたく報道されるのは可哀想だな。おいら達の頃はまだ、恐ろしいパワーのものとか普通に販売されてたからね。MGCの初代のベレッタ93Rなんて、ジュースのアルミ缶を撃つでしょ、BB弾の小さな穴があくなんてものでなくて、アルミ缶が爆発してたからね。それからウィルディスーパーマグナム31ってのがありチャールズ・ブロンソンがそれを使う映画あるんだけど、そんなことどうでもいいよね、ごめん、これはねエアーガンだった。スライドを引くことで空気を取り込み圧縮して、トリガーを引くことで一気に空気を解放して弾を飛ばす。だから一回撃つごとにガンのスライドを引かなくてはならないのだけど、こいつの飛距離はすごかったよ。普通に水平に向けて撃って70,80メートルは飛んでたね。

 あのね、エアーガンの歴史の中で一番大きなショックというか、技術革新はMGCがガスガンでブローバックを実現させたことなわけ。グロッグ17が最初だな。それ以前にもブローバックするものはあったのだが、おもちゃレベルね。ほんと、最初にグロッグのブローバックが眼にとまらない速さでするのを観て感動したね。すげーーーー!と思った。あっ、ブローバックっていうのは、ハンドガンでもリボルバーって判るよな、あれじゃないもの、オートマティックって云うのだが、実銃は弾丸を発射させた勢いでスライド(ガンの上部)が後退して、それでやっきょうを排出しおまけにハンマーも次にトリガーを引けば弾丸を発射できる状態にしてくれるわけな。

 昔のガスガンはブローバックしないのが当たり前であったし、あと思いっきりプラスティックなわけ。実銃はいろんな素材の金属でつくられている、ちなみにグロッグのすごいところは、あれは実銃もプラスティックってとこなんだよな。まあいいや、おいらの頃のエアーガンは軽くて重厚さがまったくない。素材がABSプラスティックでつくられてたから。けれど第二のショックが起こる。それはヘビーウェイトという素材が使われるようになるわけ。これはプラスティックに金属粉を混ぜて生成されたものなのだが、ほんと金属の重厚感といい、触れた時の冷たい感触は、当時ガキンチョだった、おいらの模造というガンへの不満を一気に払拭してくれたね。

 だけど、もっと大昔にはモデルガンも実際の金属で作られていたんだからな。そりゃー、改造して実弾を撃とうと思う奴がでてくるわなー。そういう経緯があり、モデルガンの素材もプラスティックへと変わることになる。ほんと、ガンマニアは今、政府は一言目には規制緩和なんて云っているが、がんじがらめの規制の中で至極倫理的且つ密かに生息している、仙人、いや聖人なのである。おわり

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今度は退屈さん現れた確立大、或いは本田の無知を書くことにもなってしまった

 ヒッチハイクサークルのある大学ってのは、日本で二つしかなく、一つは信州大でもういっこは俺のいってたがっこ。俺が創ったわけだけど。これはこれまでに何度も書いてきたこと。ヒッチハイクはコミュニケーション学だからってよ。そんでもってこいつ「 kiya2014」の云っていること、自分では全く気がついてないが、区別に基づいた観察の作法で云えば、「ヒッチは学生がするもの/しないもの」という区別の前者を指し示しているだけで、これって俺が云った退屈さんの典型、「学生?」と聞いてきて、「学生時代しかできないからねー。」とはははーと笑っている、退屈さんの区別をしてしまっていることに気がついていないという意味で、お・ま・えこそがステレオタイプ且つどうしようもなく退屈さんだから。

 言語の問題。「表」を観ると当て字を良く使っている。「初心者のためのてーげー革命」でも書いたばかりなのだけど、退屈さんは「正解」というものがあると想っているらしく、退屈さんがついてくるような批判はこれまで何度も退屈にやってきて説明済みなのは、やはり儚くステレオタイプのことしか云えない退屈さんということ、悲しくなるほどに。

 ブックマークしておくの忘れちまったけど、はてなの人だったと想う。文章論を長々と書き、最後に文字の表記の間違いなどには気をつけなさいなどと云っており、ふと眼を向けると、アフィリエイトで、漱石の本を紹介している。これって、相当馬鹿で、漱石ほど、めちゃめちゃな当て字を使った文士はおらず、けれどもそれは退屈さんではないことの表れでもあるわけ。つまり、世の常識に囚われず、正解と想われているものを疑う、或いは退屈さんたちが「右向け右!」で指し示す側ではなくて、皆が見えていないものを見ることができるということ。

 あの自分の主張の正当性を担保するのに、「それでは広辞苑をひいてみましょう」なんて書いている奴、めちゃめちゃ多いが、JUN−JUNもやってたな。けれど、それって相当な退屈且つ阿呆のすることだからな。

 言語学的にはお決まりのシニフィアンシニフィエを出して、文化圏の違いにより差異があり、言語に正解を見ようとするお・ま・えは大馬鹿というと、何も云わなくなるのだが。

 これも表で何度も云っているが、言語というものは使われる以上、常に変容に曝されており、それはシニフィアンシニフィエとも同じこと。これは、本田批判で「意味の変容」を確かめる方法まで示し、めちゃめちゃお馬鹿にも判るように説明したのだけど、あのね、変容しない言語というのは死んでいくのみだから。ラテン語が正にその典型で、現在ヨーロッパで使われている緒言語はラテン語の俗語、つまりラテン語から派生し変容したものね。低俗なものと上層階級から見られていたものが、けれどもそれらは使用されることで変容しながら現在も生き残っている。一方、せせら笑い俗語を低劣なものと見下していた上層階級の一部しか使用しなかったラテン語は死んでしまうという結果になる。

 日本では近代以前では、書き言葉は主に「漢文調」で話言葉とは断絶があったものを、明治20年代におこる言文一致運動を端緒に、話し言葉風に書かれるようになり、ああ、少しというかかなり脱線して説明してしまおう。言語の共有は国民国家成立には必須であるわけ。ネイションステイトというものは、「自分が〜人」であるという信念に支えられているのだが、その信念が日本といアイランドに浸透するには同じ、或いは理解できる言語が共有される必要がある。それをになったのが、それまで一つの俗語にすぎなかった江戸弁であり、江戸弁を改良して標準語がつくられ、メディアの発達により標準語は日本というアイランドに住む人々が共有するようになる。そこで日本人と感覚が生まれてくることになるわけな。

 もう退屈さんを端緒に脱線しまくるが、日本人なんて明治期に入り、その後暫く、存在しなかったのだから。だって「日本人」という言説なんて共有してないし、言葉だって藩はもとより、村が変わればコミュニケーションの疎通に支障を来たすぐらいだったわけ。だれもが「日本人」なんて想ってもいないのに、歴史を遡り「日本人」を創ってしまう歴史学者は馬鹿だけど、2003年以前の日本には「ニート」なんて言説もなければ、意識もしないし、あいつはニートだ!なんて揶揄するものもいなかったのを、文部科学省の定義に「ああ、お上の仰ることは正しい、もっともなことでございます」的に従い、1979年のほうが90年代よりも「ニート」が多かったなんて云っている「本田由紀」は大馬鹿たれの、アンポンタ且つノータリンだよな。

 これ判らないと、皆さん、いいですか、俺がかりにだ、幕末の新撰組を例に挙げて、徳川期にも「おやじ狩り」はあった!っと云うとする。こんな阿呆な論理を、なるほどーと頷きながら聞き入っているようなものだぜ、あんたら。

 ああ、退屈さんの話ね。無理やり結論。こんな基礎教養を知っているのかいないのか俺には全く興味なしだが、言語だけではなく、あらゆるものに存在論的な見方しかできない奴は、これまた退屈でステレオタイプでアンポンタンということになる。おわり。

関連:http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20060414#p1   
   もうこんな幼稚なお話には触れる価値もないわな
   http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20060415#p1
参:http://jibun.seesaa.net/article/16391383.html
  http://jibun.seesaa.net/article/13286182.html
  http://jibun.seesaa.net/article/11077047.html
  http://jibun.seesaa.net/article/13289232.html
  http://jibun.seesaa.net/article/16272100.html
  http://jibun.seesaa.net/article/16391383.html

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沖縄の極左のこと

 例えば、サーチエンジンで「琉球」「独立」とかで検索してみ。そこでひっかかる奴らのほとんどは不勉強、内地に対するコンプレックスを伴った怒りを抱える馬鹿ばかり。ほんと、歴史の都合のいい部分ね、沖縄は搾取されつづけたという、それを拾ってきて怒りまくり終わり。こんな奴らは沖縄のごくごくごくごく少数のインテリじゃないインテリの思想かぶれの奴らで。俺は実際、琉球大を沖縄国際、沖縄大、あとどこだっけか、とにかく社会科学系の院の研究室にこれまたアポなしで飛び込み、議論するけど何も答えられないからね。で、答えてても間違ってるから。

 沖縄独立論とかさー、したけりゃ、やれって!やってみろ!ってこと。あんたら、イラクの、日本ではアメリカさまさまだから、テロと報じられているけれども、「自爆テロ」な、命をかけて自分の国から諸外国の勢力を追い払う、ああいう行為できるのかよ。極左は過激な発言して、何も行動しない。像の檻を皆でお手つないで、囲むことが沖縄独立に繋がるのか?60,70年代に青春を送った人は、今では時代おくれになってるのだが、過激だったからね。本気で戦ってたから。おめえら、やってみろ!基地めがけて自爆テロ琉球がそんなに搾取されつづけてきたのなら、行動して世論を形成してみろって!でも、そんな沖縄独立なんて世論は、メディアによってつくられたものであり、現実には一般の方々は至って普通に現状を認識し、自虐に陥ることなく生活されている。

 ほんとこの馬鹿左翼が沖縄を馬鹿の道へと導いているわけね。偉いのは、伊波普猷と太田さんだけ。あの人こそ極左だよなー。投獄されること覚悟に軍用地の使用期限の延長を固辞しつづけた。そして最も偉大なところは、ちゃんと事実を書いているからね。沖縄は日本近代化の時期に進んで、日本人になろうとしたという事実をね。その点やはり学者であり、ちゃんと勉強している。けれど、沖縄は経済優先の稲嶺知事を当選させてしまう。それはいけないとかじゃなくて、沖縄だけでなく、どこでも当然、豊かさを求めているわけで稲嶺さんが選択されたのは、当然の結果であり、また沖縄独立とかいっている、ド阿呆はごくごくごく日陰の少数な奴らということを証明してるってこと。

 皆さん、沖縄県民大会の後には、予定調和の国際どおりのデモがあるのだけれど、あれに参加している理由は、共同体的つながりで、仕様がなく参加している奴らだから。自衛隊イラクへの派遣の時もデモがあった。報道では、さも沖縄の方々の平和を祈る気持ちを象徴的に流すわなー。でも、俺はあそこにいって、ちゃんと観ているから。「自衛隊イラクへの「派兵」反対ー!」と叫びながら、デモする奴らの、へらへら笑いながら、派遣なんて全く興味なし的デモをね。それで、俺はそいつらにマジギレして、本当に派遣反対なら今すぐバグダッドに行って、命かけて同じデモをしてこいと、通りすがる奴ら一人一人に叫ぶが、皆、俺を気がふれた奴のような眼で見て、何も答えられない。こういう沖縄のなんちゃって左翼もまた大馬鹿たれ!おわり

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